2019年12月8日、河鍋暁斎記念美術館(蕨市)の『絵新聞日本地』1-2号のパネル展示に合わせて講演を行いました。「『絵新聞日本地』と明治初期のメディア空間」と題して、維新後の諸新聞発行開始、啓蒙的なベストセラーや教科書の誕生など出版メディアの変化のなかで魯文がすべて対応しつつ、庶民の文明開化に用文が立ちはだかっているとの問題点を意識化していたことや、『横浜毎日新聞』編集の方向性の違いから『絵新聞日本地』刊行に至る過程、特に広告関連記事をみたあと、国内に伝存する第3号の解題を改めて行いました。『絵新聞日本地』は文字通り3号雑誌となって短命ではあったものの、新聞への諷刺画掲載に変化をもたらし、『仮名読新聞』の発行、そして、のちに暁斎が活躍する滑稽諷刺雑誌興隆の端初であったことをお話ししました。記録は後日『暁斎』誌掲載されます。
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